2015年,1型糖尿病の子どもを持つ両親を洗脳し,インスリンの注射をやめさせ死に至らしめたとして,自称祈祷師の男が逮捕された事件がありました.
とても悲しい事件でした.
裁判では男が間接的に殺人罪に問われるか大きな注目を浴びていましたが,2020年8月にようやく殺人罪として認められ,懲役14年6ヵ月が確定となりました.
(上記, 朝日新聞記事より引用)
栃木県で2015年4月、治療と称して1型糖尿病を患う男児(当時7)にインスリンを投与させず衰弱死させたとして、殺人罪に問われた建設業近藤弘治(ひろじ)被告(65)=同県下野(しもつけ)市=の上告審で、最高裁第二小法廷(草野耕一裁判長)は被告側の上告を退けた。
(中略)
第二小法廷は、被告は医学に頼らずに「難病を治せる」と標榜(ひょうぼう)し、母親に「インスリンは毒」「従わなければ助からない」としつこく働きかけて投与をやめさせたと指摘。「命を救うには従うしかない」と思い込んだ母親を「道具として利用」し、治療法に半信半疑だった父親も母親を通じて同調させたと指摘し、殺害行為に当たると判断した。
また,当時,洗脳された保護者も保護責任者遺棄致死の疑いで書類送検されていますが,幸い不起訴となりました.
今回は,こちらの記事を踏まえ自分の考えを記事にしてみました.
★報道された内容を踏まえて,すべて自分の想像からの意見になりますので,こういう考え方もあるんだな~ と参考までにお願いいたします.
インスリンは,生きるためのエネルギーを作り出すホルモン
医学的な結論としては,
「男の子は,1型糖尿病ですがインスリンを中断してしまったため,
生きるためのエネルギーを作り出せなくなり死亡に至りました.」といえます.
インスリンは「血糖を下げるホルモン」といわれていますが,
正確に表現すると
糖分をエネルギーとして使用したり,
余った糖分を体にため込むはたらきがあり,
結果として血糖を下げるホルモンです.
1型糖尿病は,何らかの原因でインスリンが低下,
あるいはほぼゼロになる病気です.(個人差があります)
インスリンの注射をしないと,糖分をエネルギーとして使えなくなります.
その代わりに,エネルギー効率が悪い「脂肪」から
無理矢理エネルギーを作り出そうとし,
「ケトン体」が蓄積し血液が酸性になり死に至ってしまいます.
これを糖尿病性ケトアシドーシスといい,今回の直接死因と思われます.
両親に「糖尿病の知識」がなかった訳ではない
医学的には上記の通りですが,
この事件ではなぜインスリンを中断してしまったのか?が重要です.
今回の事件を受けて,亡くなった男の子の両親も強く批判を浴びました.
いくつかの記事やコメントを参照すると,
「両親が病気について正しく理解することが必要だった」
「だまされるなんて,教育レベルが知れる」
との記載でいっぱいです.
(あるブログより.信じられませんが医師の記載です)
この両親は1型糖尿病についての知識が足りなかったのでしょうか?
インスリンをやめると命にかかわることを知らなかったのでしょうか?
自分は,そんなことはなかったと思っています.
むしろ,両親は1型糖尿病について必死に調べて,調べ尽くし,
どこにも「完治しない,一生インスリンが必要・・・」など記載があり
精神的に追い詰められた状況で,
この祈祷師に行きつき,今回の悲惨な事件につながってしまったのではないか
と想像しています.
世界的にも,民間療法に頼る1型糖尿病の方は多い
少し話は逸れますが,この事件は日本だけの問題ではありません.
むしろ海外のほうが宗教的多様性の問題で,民間療法は問題視されています.
民間療法を受けている小児1型糖尿病の両親について
分析を行った文献があります(トルコでの既報)
この文献の報告をみると,民間療法の内容は
「薬草」「ビタミン剤」「祈祷」が多く,
都市部に生活し,世帯収入が高いほど民間療法を選択する傾向にあり,
両親の教育レベルの上下は関係なかったといいます.
文献 より引用.
CAMは民間療法のことで,両親の教育レベル・居住地・世帯収入ごとに比較を行っている.
この結果を踏まえると,生活に余裕があり,都市部で情報のアクセスがしやすいほど
民間療法を選択する傾向があるといえそうです.
そのため,必ずしも「両親の知識が不足していると,子が適切な治療を受けられない」訳ではないと思われます.
「スティグマ」で弱った心につけこんだ
現在の医療水準では,残念ながら
「インスリンを注射し,非糖尿病者と同様の血糖にコントロールすること」以外に治療選択肢がない1型糖尿病.
グーグルで検索するだけで情報が入ってくる現代で,通常の状態であれば
「祈祷することで病気が治る」という発想には至りません.
では,この男児の両親はなぜ「祈祷師に洗脳されインスリンをやめてしまった」のでしょうか?
あくまで筆者の想像になりますが,
この両親は,わが子が1型糖尿病を発症し,精神的に相当追いやられていたのではないかと思います.
インスリン注射を嫌がり泣き叫ぶ我が子をなだめたり,
我が子の指に針を刺して血糖測定を行ったり,
甘いものをがまんさせたり・・・
また,特に1型糖尿病の方や家族は,周りや社会からの差別に苦しむことが多いです.
これは「スティグマ」とよばれ,現在の糖尿病診療における大きな問題となっています.
スティグマの例を挙げると,
<周りからの差別的な目>
- 糖尿病は自業自得な病気と思っている人が多い
生活習慣病と言われていますが,1型糖尿病はもちろん,2型糖尿病でも遺伝的要因や薬剤副作用の場合は本人に全く責任がありません. - 小児糖尿病の場合,親の責任といわれる
筆者は10歳の時から糖尿病を発症していましたが,両親は特に親戚から相当に小言を言われていたようです.「菓子を与えすぎ」「ゲームさせすぎ」「食事が悪い」などなど.特に炊事をしていた母親にはそうとう堪えたみたいです. - インスリン注射が必要な場合,周りから奇怪な目で見られる
阪神の岩田稔投手の手記「やらな,しゃーない!」にもありましたが,周りから心のないことを言われ,インスリン注射を隠れてしてしまうようになる.
<経済的な負担>
- 毎月の通院,インスリン,血糖測定器など月1-3万円程度の負担
だいたいマイカーを持つくらいの負担です.医師である自分でも負担に感じるほどです.
なお18-20歳未満は小児慢性特定疾病対象となるので負担はありません. - 通常の医療保険は契約できず,割高な引受基準緩和型保険を契約する必要
- 住宅ローンの審査に不利になることがある
- 就職活動で差別を受けることがある
などなど,枚挙にいとまがありません.
そして,さらに問題なのが「医療者からのスティグマ」です.
味方になるはずの医療者から受けるスティグマ
糖尿病の方は,医師や看護師,管理栄養士から指導を受けます.
悲しいことに,血糖のコントロールが悪いと,「コントロールが悪い」「節制していない」と投げやりな患者指導を行う医療者が存在します.
先日行ったアンケートでは,実に3割の方が医師からの言葉で通院中断を考えたと回答しています.
また,筆者自身,病院に勤務していても,一部の医療スタッフは
「この人は糖尿病かぁ.自己管理ができていないんだな!」
「糖尿病患者は言うこと聞かないから」
など平気で陰口を叩きます.
まさか隣の医者が糖尿病であることは考えていないんでしょうね.
苦笑しかできません.
本来ならば悩みに寄り添い,相談相手になるべき医療者がスティグマを与えているようでは,満足な糖尿病診療ができるわけありません.
これらのスティグマにより,両親は相当な消耗状態となり,親身に寄り添ってくれる祈祷師にすがってしまったものと考えます.
今回の事件は,現在の糖尿病を取り巻く問題が複雑に絡み合った結果と考えます.
「もし,自分が主治医だったら,止められていただろうか?」と考えてしまいます.
記載:2020年9月7日
編集:2020年10月3日(記事を一本化)